昭和48年新潟県生まれ。
高校卒業後上京し、明治大学理工学部(生田キャンパス)に入学。
大学卒業後は、外資系企業にて約6年間の営業職を経験し、
平成14年8月に退職。
6ヶ月間の無職生活を経て、平成15年統一地方選挙にて初当選。
自由民主党 川崎市支部連合会 青年局副局長


プロフィール
活動紹介     

麻生区選出の川崎市議会議員の山崎なおふみです。
このたび青年局のホームページがリニューアルされたとのことで、投稿させていただきました。
今、わたしたちの川崎市には、 つの区がありますが、私の麻生区は最北端、小田急線の新百合ヶ丘駅を中心としたエリアになります。私の生まれは、新潟県で、大学の入学時に上京して参りましたが、当時は、住まい探しに苦労しました。
私は、明治大学の理工学部でしたので、最寄駅は小田急線の生田駅、住まいは百合ヶ丘駅からバスで分ほどの東百合丘というところで下宿生活でした。 当時は、住所が川崎市と聞いて「えっ?」と思ったものです。この川崎市に抱いていたイメージは、それこそ「工場地帯、灰色」でしたが、実際の生活が始まると印象は全く変わりましたね。
当時は、小田急線沿線が生活圏でしたので、閑静な住宅街や学生で賑わう街が多く、非常に住みやすかった記憶があります。川崎市は、多摩川に沿って非常に南北に長い都市で、東京都と横浜市に挟まれている為、首都圏内でも絶好の好位置にあります。 南北に長い為、「ウナギの寝床」と呼ばれていますが、南北で都市の雰囲気がまるで違います。
私鉄毎に生活圏が構成されており、特に北部地域では、同じ市内に住んでいながら、「川崎市」への愛着が薄い方が多く、また市民意識が低い面もあります。
そんなこともあってか議員の南北格差もあるように思えてしまいます。 私も議員になってから、南部の川崎駅周辺(川崎区)に通うようになりました。今の職業でなければ、同じ市内でありながら、全く縁がなかったんだと思います。今では、市役所帰りに赤提灯で一杯やるケースもありますが、回数を重ねる毎にこの南部の雰囲気が好きになりました。 最近ではチッタデッラやミューザ川崎シンフォニーホール等の施設もオープンし、行政も若者の集まる街を目指してシティーセールスに励んでいますが、私自身も、皆さんとともに若い世代として、魅力的な川崎市を創っていきたいと思います。
今回は、川崎市の紹介のみで紙面が終わってしまいましたが、次回以降、徐々に議員活動の話なんかも取り入れていきたいと思ってますので、また皆さんが聞いてみたいこと等をお寄せいただければと思います。
プロフィール

http://www.7023.jp/

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第1回 原修一議員
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